スターフィッシュを起業してから1年と1か月が過ぎた
昨年の2月に会社を起業してから1年と1ヶ月が過ぎた。今日はその間にどんなことがあったかを話してみようと思う。これから起業する人の参考になれば幸いだし、自分にとってもこれからの会社経営を考えるうえで良い機会になるだろう。
そう思って今日のブログを書いてみた。
色んなことがあった長いようで短かった日々
昨年の2月に当時勤務していた会社を退職することになった。いわゆるリストラであるが、不思議と恨みとかショックはなかった。入社直後にコロナ禍になったことで、営業や見学活動が思うようにできなかった。また、自分より入社が先の既存の社員のテリトリーがあり、有望な営業先はすべて抑えられてしまい、地道に居宅介護支援事業所などを新規営業で歩き回るもなかなか結果が出せない日々が続いた。営業マンが在宅ワークで働く事には無理があるし、仮に会社に残れたとしても、年齢的にも定年まで数年しかない。それならば一層独立して、自分の力を試してみるのもいいのではないかと思ったからである。
実はスターフィッシュの設立は2013年である。その時は居宅介護支援事業所と訪問介護事業所を行う会社であった。しかし、一緒に仕事をしたいと言ってきた人が不正を働いた。印鑑を貸してほしいというから、何に使うのと聞いたら、役所に出す書類があるからということだった。この仕事は役所に提出する資料も多いし、彼のことを信用していたこともあり、何も疑わずにいたら、架空の請求書を作成し、お金を不正に自分の口座に振り込ませるために使用したと後で警察から聞いて判明した。しかも、お金を盗んだことも発覚し、逃亡して行方不明になっているとのことだった。
あれから10年近くたったが未だに捜索は続いている。奥さんも子供もいるのに10年以上会っていないのだろうか?
その内容は彼個人の問題であり、会社ならびに事業所自体の不正ではないため、事業を継続することには何ら支障は無かった。
起業にしくじりサラリーマンに戻ることに
実はこの時は本当につらかった。とにかくお金を稼ごうとアルバイトをしてくいつないだ。日雇いのサンドイッチマンもやったし、デパートで派遣もやったし、生命保険の外務員もやった。
デパートの派遣はほとんどが20代、30代の女性。40代のおっさんなど自分くらいしかいない。派遣の最初の仕事は婦人服売り場だったが、どうみても派遣社員には見えない。品の良い女性から他の売り場の事を聞かれ、「すみません。私今日から派遣で来ているものなので」と言ったら、物凄く驚かれていた。でも結構売り上げは良かった。「痩せてみえますよ」「これが最後のお品です」と言えば女性は結構買ってくれた。ジーパンと言えばエドウインとリーバイスくらいしか知らなかった私も、セールが終わるころにはブランドについて大分詳しくなった。
サンドイッチマンの仕事はただ立っているだけだった。なぜか犬が私の顔をじっと見つめていた。早稲田大学を出て、立教の大学院でMBAまでとった人間がやるような仕事じゃないが、それでお金がもらえるのだから良しとしよう。プライドなんかくそくらえだ。
しかし、いくら頑張ってもアルバイトでは大した稼ぎにはならずお金は減る一方だし、自分の人を見る目の無さと、警察がからむ事件になったというショックもあり、再びサラリーマンに戻る事とした。
最後にやった生命保険の仕事は自分に合っていた。テストをやったがすべて満点で時間も1時間のところを15分くらいで終わってしまった。
神様が降りてきたと周りからも期待され、仕事についてからもすぐに売り上げもあがったが、面接した社会福祉法人で内定が決まり、できるだけ早く来てほしいと言われ惜しまれながら辞める事となった。
ただ会社そのものは設立に手間も費用もかかっていたので精算するのも惜しいと思い、そのまま残しておいた。もちろん二度と起業なんてするもんじゃないと思っていた。
それから約8年間。3社のサラリーマンをやった。その間会社はほぼ休眠状態はあったが、時折研修の依頼などがあった時だけ会社経由で契約していた。研修は土日や有休を使える時だけに限り引き受け、仕事と言うより趣味で行っていたようなものであり、当然会社は大赤字である。
貧乏なので旅行に行く余裕などなかったが、地方での研修は、2時間くらい話せば、ホテルに泊まって美味しいものを食べて温泉に入ったり観光して、ただで旅行ができておまけにお小遣いまでもらえるという感じだった。
愛媛県、福岡県、広島県、新潟県、宮城県などいろいろなところに行った。もちろん、一番多いのは関東地方だが、その場合は日帰りであるし、仙台、名古屋や大阪も日帰りである。
そんなわけで、社長として実質手に会社経営をはじめたのは昨年2021年の2月ということになる。
サラリーマンと自営の圧倒的な差
独立して何をしようかと思ったときに最初に思いついたのは研修やコンサルティング事業であった。というのも、まずは仲間に裏切られ痛い思いをしたこと。また、2013年に起業した際は、まだ若かった事もあり、色んな人が助けてあげると近づいてきた。しかし、結果的には詐欺に近い内容であった。
例えば、自分たちはノウハウがあるから、そのノウハウを全部ただで教えてあげる。しかも、起業したては集客が大変だけど、僕たちと一緒にやればコストも割り勘できるし、と言った提案内容であり、自分も何てありがたい提案だ、世の中にはこんな良い人がいるんだと涙して喜んだ。そして、経費が全部で500万かかるけど、僕と彼が200万づつ出すから君は半分の100万円でいいよとそんな提案内容だった。それがどんな結果となったかは想像にお任せする。
そこで、まずは自分ひとりで頑張ってみようと思った。しかし、このコロナ禍である。研修などをやっている余裕などどこにもない。まして介護事業者はただでさえ、現場は大混乱。目の前の仕事に追われる毎日である。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだという」植木等の言葉がある。自分も30年以上ずっとサラリーマンをやってきて、大変な事もたくさんあったが、それでも毎月決まったお金が振り込まれるというのは何物にも代えられない安心感である。テレビで有名な俳優さんやスポーツ選手が、僕らは住宅ローンが使えないので、家も買えないんですと話しているのを聞いた事があるが、彼らよりも遥かに安月給の僕でも住宅ローンの審査には通っている。しかも、愚痴を言ったり悩みを打ち明けたり、ともに助け合い、励まし合える仲間もいる。
それが、独立と同時にすべてなくなってしまう。
とりあえず研修やコンサルティングなら一人でできるからと安易な気持ちで起業をしたものの、コロナという外部環境も大きかったが、仕事が全くなく、収入のあてもなく、周りに仲間もいないというのは結構きつい状況であった。介護事業の立ち上げやコンサルティングに関しては経験もあるし、MBAで学んだ知識もある。本も書いているし、雑誌にもたくさん投稿している。
「斉藤圭一」で検索してもこのように研修サイトがトップに出てくるが、それでも依頼は全く来ない。
まさに暗闇に一人放り出された状態である。出口の見えない日々がここからしばらく続くことになる。
最初に来た仕事を無茶ぶり、ではなく無茶受けしてみた
半ば覚悟はしていた事であるが、初月の売上は0円。次の月も0円。その次も、その次の月も0円という日々が続く。やばい、このままでは貯金が0になってしまう。仕方ないからコンビニとかウーバーイーツでアルバイトでもしようかと本気で考えたが、それでは何のために起業をしたのかわからない。
そんなある日、ようやく最初の仕事の依頼が入った。内容は新入社員研修である。もちろんコロナ禍であるから集合研修はできず、入社式から研修までずっとリモートで行うということであった。その企業は通信大手企業の関連企業。Nで始まる会社と言えば想像がつくかもしれない。起業したばかりの会社にとっては実績づくりには申し分のない会社である。リモート研修は初めての経験だったが、ZOOMの操作などは在宅ワークでさんざん使いこなしている。しかも、集合研修では新入社員研修など何度も経験している得意分野である。
ところが、研修の内容を聞いて「あ、終わった」と思った。「スターフィッシュ、チーン、終了」の鐘が鳴った。
話は長くなったので、今日はこの辺にしておこうと思う。チーンの後の話は次のブログで
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